Lesson1-4 オーガニックの歴史③ ー 日本

日本におけるオーガニックの高まり

日本におけるオーガニック市場はその数値から見ると開花したばかり、と言えます。耕地面積では、緩やかに増加しているものの、2.3万ヘクタールと、日本の耕地面積の0.5%に過ぎません。先述した欧州のオーガニック耕地面積約1200万ヘクタール(2.3%)に比べると、非常に小さく、また割合も低いのです。また、市場規模は1300億円と、欧州や北米が5兆円前後まで推移しているのに対しては、その足元にも及んでいないと言えます。

しかし近年では、スーパーマーケットでもオーガニック食品コーナーが設けられたり、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、食の安全性を各国より求められるようになってきています。少しずつその高まりを見せる日本ですが、国内でのオーガニックの歴史はどのようなものなのでしょうか。

「有機農業」

日本で有機農業が開始されたのは、1970年代からだと言われています。欧州やアメリカなどと同様に戦後の食糧増産のために、1961年には農業基本法制定され、日本でも化学肥料農薬の使用が促進されるようになりました。また、高度経済成長期に入り、生活が豊かになっていく一方で、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害問題、光化学スモッグなどの環境問題が表面化するようになってきます。そして森永ミルクヒ素事件カネミ油症事件など、食の安全性に対する不安を募らせるような事件も勃発してしまいます。

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そのような中、農協職員であった一楽照雄(1906-1994)「有機農業」という言葉を生み出します。彼は、前述したような化学肥料や農薬漬けになっている農地や、大量生産に後押しされた農業の近代化に疑問を持ち、人間社会や自然生態系の破壊に繋がりかねないと危惧していました。こうした農業・社会に対して、持続可能性をもった考え方を普及すべく「有機農業」と銘打ち、活動を始めたのです。その一つに、1971年に発足された「日本有機農業研究会」があります。これは生産者・消費者・研究者が一体となり、有機農業の実践と普及を目指すという内容でした。当初は、有機農業という考え方を持つことに対して、変人扱いを受けたり、農村から排除されることもあったと言いますが、環境問題が顕著になるにつれ、支持を集めるようになりました。

有機JAS規格の制定

当初は、有機農作物生産者と消費者を直接結ぶ形式をとっており、市場に対してクローズ型の流通形態をとっていたため、なかなか有機農作物は一般に広がりませんでした。また「有機」という定義もあいまいで、少し有機肥料を活用した食品や、農薬を減らした減農薬食品まで「有機」という表現を使用していました。

転機となったのが、1993年の農林水産省によるガイドラインの制定でした。そして、2000年にはそれまでの日本農林規格(JAS法)が改訂され、「有機JAS」の規格が制定されました。これにより、「有機」の定義が定まり、現在ではスーパーマーケットなどでも少しずつ支持されるようになっています。しかし、まだまだ「有機JAS」規格自体の認知度は低く、今後の広まりに期待したいというところです。

 

 

 

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ここまでは各国でのオーガニックの歴史について解説してきました。
次のセクションでは、オーガニックの認定機関や基準について解説していきます。